こんにちは!管理人のうさぎです!
今回は任侠映画で一世を風靡した富司純子(ふじ すみこ)さんについて調査したいと思います。
富司純子さんは映画デビュー当時、若い頃から美人で物腰が柔らかい人気の女優。
任侠映画ファンには昔から絶大な人気があり、任侠シリーズが大反響を呼び富司純子さんは任侠スターとして不動な女優になりました。
現在は歌舞伎界の大御所「音羽屋」7代目尾上菊五郎(おのえ きくごろう)の妻としてまた、息子で歌舞伎俳優の尾上菊之助(おのえ きくのすけ)と娘は女優の寺島しのぶの母として、女優として活躍しています。
さて、富司純子さんの女優デビューのきっかけから見ていきましょう。
富司純子は若い頃から美人?
富司純子さんは和歌山県御坊市で1945年12月1日生まれ、5歳の時に大阪市へ家族で移り住む。血液型O型。旧芸名は藤 純子。本名は寺嶋 純子、旧姓は俊藤
父は映画ディレクターの俊藤浩滋(しゅんどう こうじ)。家にはほとんど帰って来ない人で富司純子さんは母親と祖母に苦労して育てられたようです。
富司純子さんが中学生の頃、宝塚歌劇のファンになり中学卒業時に宝塚音楽学校を受験しようと考えて、宝塚コドモアテネに通っていましたが、父に反対され受験を断念。
富司純子さんの若い頃の写真です。とても美しい!美人ですね!
富司純子さんが四條畷学園高等学校2年生のときによみうりテレビの歌謡番組『ハイハイ、マヒナです』のカバーガールとして姉・允子とともに出演。
その当時は大阪の芸能プロダクションに所属していまいしたが、一家が京都に転居したため、富司純子さんは京都女子高等学校に転校しました。
富司純子の映画デビューのきっかけは?
1963年、父の勤務先である東映京都撮影所に見学に行ったところをマキノ雅弘監督にスカウトされ、「藤 純子」(ふじ じゅんこ)の芸名をもらい、『八州遊侠伝・男の盃』で千葉真一の恋人役でデビューしました。
富司純子さんの女優デビューのきっかけは父親の勤務先の東映京都撮影所の見学へ行きマキノ監督にスカウトされたんですね。この時は「藤純子(ふじ じゅんこ)」さんだったんですね。
父親の俊藤浩滋さんは自分の仕事場に娘が出入りされるのが嫌で猛反対だった。しかしマキノ監督に「俺が責任を持つから」と納得させたようです。
富司純子さんは当時の東映常務兼企画製作本部長・岡田茂が企画した『緋牡丹博徒(ひぼたんばくと)』の主役に抜擢され、映画は大ヒット!任侠映画ファンを中心に絶大な支持によって富司純子さんの最大の当たり役としてシリーズかされました。
富司純子さんは背に彫った緋牡丹の刺青を見せる『緋牡丹博徒』で肌を見せることを嫌がり出演を拒んでいたようですが父・俊藤に説得されて渋々承諾した一幕もあったようです。
富司純子さんの容姿の美しさもあってこの任侠シリーズは空前の大ヒットになり富司純子さんは瞬く間に東映の看板女優になりました。
富司純子が梨園の妻へのきっかけは⁈
1966年、富司純子さんが21歳の時
NHKの大河ドラマ『源義経』で共演したきっかけで交際が始まり、歌舞伎俳優の四代目尾上菊之助(現・七代目尾上菊五郎)と結婚。芸能界を引退を表明。
NHK大河ドラマ「源義経」(1966年)の収録が「3分の2ぐらい進んだ」ころ、雑誌の表紙撮影のため、静御前役の富司純子(当時藤純子)はスタジオ外で義経役の菊五郎(当時菊之助)と顔を合わせた。
「ボウリングがブームのころでした。主人(菊五郎)から、『やるの』と聞かれ、『やります』と答えたら、『今度行きましょうか』というお話になりました。それが初めてのお誘いだったと思います」
引用:毎日新聞2022/8/22
富司純子さんが26歳、1971年11月9日に銀座のホテルで披露宴。会場には約200人のマスコミ関係者が押し寄せました。富司純子さんはその場で映画界引退を発表。
富司純子さんの花嫁姿とても素敵ですね。まさに美男美女!!
富司純子さんと尾上菊五郎さんの結婚には約6年の歳月が先延ばしになりました。
その理由は
「緋牡丹博徒」「日本女俠伝」などの人気シリーズを持つ東映の看板俳優。70年度だけでも主演映画は15億円の興行収入を上げていただけに惜しむ声も多かった。
映画プロデューサーの父、俊藤浩滋の要望で先延ばしにされていたからでした。
父親からは「婚約発表で引退すると絶対に言うな」と命じられていたそうで、しかし富司純子さんは「もう映画に引き戻されたくないと思って〖引退します〗言ったそうです。
尾上菊五郎さんも結婚を6年間待ててくれたんですね。素敵!!
富司純子は『3時のあなた』の司会で芸能界に復帰!
元『3時のあなた』司会の芳村真理さんは降板し、1974年5月8日から“緋牡丹博徒 お竜”で人気を博した映画女優藤(富司)純子さんが登場することになった。司会者として富司純子は芸能界に復帰しました!
「寺島 純子(てらしま じゅんこ)」の本名でフジテレビのワイドショー『3時のあなた』の司会に就任し、「司会者」として芸能界に復帰。
その後
出産と育児のため芸能界を休業
1977年、長男(五代目 尾上菊之助)の出産と育児のため芸能界を休業。
長女の寺島しのぶは1972年12月28日に出産し育児。
2人の子供に恵まれ、家族でCMにも出演する。
現在の富司純子
富司 純子さんは、2007年に紫綬褒章受章。2016年春の叙勲で旭日小綬章。
2006年「フラガール」で数々の映画賞で助演女優賞に輝く。
上田義彦監督の熱烈なオファーがあり、14年ぶりの映画主演作「椿の庭」を演じる。
「椿の庭」は、夫に先立たれたばかりの絹子が、葉山の高台に建つ日本家屋で孫娘(シム・ウンギョン)と暮らす様子を通して、家族の絆を描く、静かで美しい物語。
75歳で現役の女優富司純子さんが活躍されていることは、多くの女性たちの励みになります。
普段から、健康面などで気を付けていることはありますか?
との質問に
出典:女優・富司純子75歳!女優業のこだわりと暮らし
その年齢なりに、あるがままに生きてきました。一日を大切に生きている。毎日の繰り返し。変わったことのない一日を、気張らずに送っていけたらと思います。
日課としては、Eテレの朝の体操を10分した後、スクワットとか自分なりに体を動かしています。毎日少しですけど、体操をする。背筋が伸びてないと年をとって見えるし、着物も洋服もきれいに着られませんから。油断しているとだんだん猫背になってきてしまうので、気を付けています。
60年近く、女優であり、梨園の妻である続ける秘訣は日頃から健康面など心身ともに気を配られているからなのでしょうか。
富司純子さんの長男の尾上菊之助さんと孫の丑之助くんが来年5月に、菊之助さんは「八代目尾上菊五郎」、丑之助は「六代目尾上菊之助」を襲名することを発表するなど富司純子さんも気を抜けない日々が続いています。
また
家族とのふれあいを大切にしている富司純子さんは娘の寺島しのぶ夫婦と孫の尾上眞秀(おのえまほろ)くんたちと時折会食しているようです。
自宅でいるのか富司純子さんも寺島しのぶさんもお化粧をしていない様ですね。
富司純子さん今現在、一番の楽しみは孫の尾上眞秀くんの成長ではないでしょうか。
尾上眞秀くんは昨年2023年5月に「初代尾上眞秀」として初舞台を踏んでからは舞台を経験するたびに立派に成長していることを喜んでいることでしょう。
眞秀くんは「ばあばと勉強」しているようで微笑ましい画像がありました。
歌舞伎の稽古と勉強の両立は大変ですけれど頑張ってくださいね。
女優・富司純子まとめ
女優の富司純子さんは若い頃から美人でした。
映画デビュー後も容姿の美しさもあり、緋牡丹博徒(ひぼたんばくと)の主役に抜擢され、映画は大ヒット!任侠映画ファンを中心に絶大な支持によって富司純子さんの最大の当たり役としてシリーズかされました。
梨園の妻になったきっかけはNHKの大河ドラマ『源義経』で共演で交際が始まり、歌舞伎俳優の四代目尾上菊之助(現・七代目尾上菊五郎)と結婚。
長女の寺島しのぶ(女優)と長男の尾上菊之助(歌舞伎俳優)2人の子供を育てる。
結婚を機に芸能界を引退するがその2年後、司会者として芸能界復帰。
現在も今なお、女優として梨園の妻として母としてテレビに映画に活躍をしています。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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