宮嶋みぎわのwikiプロフと経歴は?出身高校・出身大学はどこ?【徹子の部屋】

宮嶋みぎわのwikiプロフと経歴は?出身高校 大学はどこ?【徹子の部屋】 徹子の部屋
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2024年5月22日【徹子の部屋】

今日のゲスト】は

NYを沸かせる日本人女性ミュージシャン!

ジャズ作曲家・ピアニスト!

宮嶋みぎわ(みやじま みぎわ)さんが出演します。

30歳で大手企業を脱サラして、38歳で渡米!

プロとしては遅いデビューでしたが、

すでにグラミー賞ノミネートを二回経験

世界発売しています。凄い!

いったいどうやって

宮嶋みぎわ(みやじま みぎわ)さんは夢を形にしてきたんでしょうか⁈

今日の徹子の部屋】では

宮嶋みぎわ(みやじま みぎわ)さん

書き下ろした曲

きみはほんとにいいこだよの歌詞と楽譜
徹子さんと宮嶋みぎわさん

きみはほんとうはいい子だよ”という曲を

宮嶋みぎわさんが気持ちをいっぱい入れて、スタジオで演奏!(^^♪

「きみは本当はいい子なんだよ」というのは『窓際のトットちゃん』で紹介されている言葉で、徹子さんが小学校を退学になって私立の学校に転校したのち、転校先の新しい学校の校長先生が

トットちゃんに言い続けてくれた言葉です。

きみはいい子だよ
と自信を持って言ってくれる誰かがいたら、人生がどれだけ楽になるでしょう!

引用元:宮嶋みぎわno+e

素敵ですね~(⋈◍>◡<◍)。✧♡

宮嶋みぎわさんとヴォーカリストのKOTETSUさん
黒柳徹子さん

ヴォーカリストのKOTETSUさんと宮嶋みぎわさんの演奏で徹子さんも堪能!

それでは、

宮嶋みぎわ(みやじま みぎわ)さんの

wikiプロフィールと経歴と一緒に出身高校や出身大学を

見ていきましょう。

宮嶋みぎわのwiki風プロフィールと経歴

宮嶋みぎわさんのwiki風プロフィール

宮嶋みぎわさん

名前:宮嶋みぎわ(みやじま みぎわ)

誕生日:1974年6月17日

年齢:2024年5月現在 49歳

出身地:茨城県日立市

出身高校:茨城県立日立第一高等学校 卒業

出身大学:上智大学文学部教育学科 卒業

職業:ジャズ作曲家、ピアニスト、プロデューサー

宮嶋みぎわさんのwiki風経歴

宮嶋みぎわさんは母親の影響で3歳の頃からピアノを習いはじめる。

宮嶋みぎわさんが6歳の時に家族で行ったサーカスに感動して初めて曲を作った。

15歳の時に作曲コンテスト全国大会で優勝し、周りから音楽への期待をされていたが

15歳の頃の宮嶋みぎわさん

音大に入るためには集中して音楽の勉強

をすること。

東京で一流の先生のレッスンを受ける必要があったこと。

周囲に音楽家の人がいなかったため音楽で生活するイメージが持てなかったことなど。

宮嶋みぎわさんは小学生の頃から、バランスの取れた人間になりたかったので

音楽は好きだけれど、他の科目の勉強もしたかったと。

本当にしっかりとした考えをもっている小学生だったんですね。

周囲から音大へ勧められたけれど、上智大学文学部教育学科に進学する。

上智大学文学部教育学科を卒業後、

(株)リクルートへ就職する。出版の業務の傍ら、休日はジャズピアノ演奏の活動を行う。

会社を辞職し、本格的にジャズ活動に打ち込む。

2004年30歳で音楽家に転身、音楽大学に行かず独学でプロになった。

2012年9月、文化庁新進芸術家海外研修制度・研修員としてニューヨークに移住。

現在は日米双方で自らの楽曲を演奏するビッグバンドを率いて活動している。

宮嶋みぎわさんの出身高校は茨城県立日立第一高等学校!

茨木県立日立第一高等学校

宮嶋みぎわ(みやじま みぎわ)さんが高校生として

通われていたのは1990年~1992年。

1990(平成2)年8月14日第32回全国定時制軟式野球大会出場(於:神宮野球場他)
1992(平成4)年3月17日本館4階の1教室をコンピュータ室に改造
引用元:茨城県立日立第一高等学校

宮嶋みぎわさんが高校3年生の時に

コンピューター室ができて勉強をされてたんでしょうね。

偏差値 64

日立第一高校は、日立市にある公立高校です。

1927年に開校し、1948年に茨城県立日立第一高校に改称し、全日制普通科高校になりました。

2012年に、附属中学校を併設して、中高一貫校になりました。

日立第一高校は自立の精神が尊重されていて、制服がなく、私服の高校。

制服がなかったんですね~。

県立高校で制服がないのは珍しいかもしれませんね(._.)

宮嶋みぎわさんは進学されているので、

当時は「普通科」で勉強していたと思います。

高校生の頃は、ほとんどピアノを弾くことがなかったようです。

なぜか、ピアノを弾かなくなってから、

風邪をひきやすくなったり、

疲れてすぐに寝込むようになって

いつも体調が優れない状態だったようです。

しかし、

本人も勉強が好きで、成績も良かったとか。

宮嶋みぎわさんは優秀な生徒だったようです。

『人の役に立つ人間になりたい』と

色々なことを考えて、上智大学文学部教育科を

受験したようです。

日立第一高等学校の設置学科は

「普通科」「サイエンス科」があり、

サイエンス科には、「医学系進学コース」と「理工系進学コース」があり、

難関大学への進学をサポートあるようですね。

部活動においては、

サッカー部が全国高等学校サッカー選手権大会で準優勝の経験があるほか、

野球部は茨城県の強豪として知られていますね。

また、ラグビー部は

茨城県内で公式戦111連勝を達成したことがあるほどの強豪です。

文武両道の素晴らしい高等学校ですね。

宮嶋みぎわさんの出身大学は上智大学文学部教育学科!

まず、正門からまっすぐに進むと右手に見えてくる、

上智大学の初代学長、ヘルマン・ホフマン氏の銅像が飾られているのが、1号館校舎。

宮嶋みぎわさんは大学に入学しても体調が優れない日が続いたそうです。

大学でできた親友が、宮嶋みぎわさんを音楽の世界に引き戻してくれました。

親友たちには、高校時代に趣味でピアノの弾き語りをしていたことを話していて、

録音した演奏を聞かせたことがあったようです。

大学2年生の4月、サークル勧誘の時期に、

宮嶋みぎわさんが「私は虚弱体質だから、今年も勉強かな」と言うと、

親友が「みぎわの体調が悪いのは、音楽から逃げているからだ!」と。

帰国子女の彼女はジャズの存在を知っていて、

クラシックピアノがだめなら、ジャズピアノをやればいい!」と。

宮嶋みぎわさんの手首を掴んでジャズサークルのブースまで引っ張られ

「この子が入部したいそうです! 作曲も演奏もできるし、

全国大会で優勝した経験もあります!」と。

宮嶋みぎわさんの代わりに猛アピール。

サークルの先輩たちは喜んで

デモテープを渡してくれて、これが宮嶋みぎわさんの転機になりました。

ひとりでピアノに向かうイメージの強いクラシックピアノとはまったく違う!

大人数でのアンサンブル。

強いリズムと心がおどるようなハーモニー。

ビッグバンド(ジャズ・オーケストラとも呼ぶ)が

持つ音楽性と世界観に衝撃を受け、一気に惚れ込んでしまった。

そして、入部を決意。

実は、この時に聴いたデモテープには、その後副プロデューサーとして関わる

「The Vanguard Jazz Orchestra」の楽曲も入っていた。

何年も続いた体調不良は、

音楽を再開するとすぐ治って(^^♪しまったとか。

本当に良かったですね❣

ここから、ジャズ人生が始まります。

宮嶋みぎわさんの出身高校と大学まとめ

【徹子の部屋】では

現在の活動や家族のことなど、

音楽家になるまでの転機についての

話をされました。

宮嶋みぎわさんは幼い頃から

とても利発でしっかりした子供だったようですね。

3歳から習い始めたピアノ。

6歳には初の作曲。

15歳の時に作曲コンテスト全国大会で優勝。

周囲からは音楽への期待で音大へ勧められるが

音大進学を辞めた理由は

・音大に入るためには集中して音楽の勉強をしなくてはいけないこと。

・東京で一流の先生のレッスンを受ける必要があったこと。

・周囲に音楽家の人がいなかったため音楽で生活するイメージが持てなかったこと。

宮嶋みぎわさんは小学生の頃から、

色々な教科を勉強してバランスの取れた人間なりたいと思っていた。

また当時は茨城県に住んでおり、東京へレッスンに通うことは困難。

周囲に音楽家がいなかったので音楽で生活するイメージが持てなかったと。

宮嶋みぎわさんの出身高校は茨城県立日立第一高等学校。

ピアノを弾かない生活のためか

風邪をひきやすかったり体調が優れない日が続いた。

勉強は好きで優秀な成績でした。

「人の役に立つ生き方がしたい」と進学を考えていた。

宮嶋みぎわさんの出身大学は上智大学文学部教育科。

親友にジャズピアノを進められ、サークルへ入部。

親友やジャズピアノの出会いが転機となり、

現在の宮嶋みぎわさんの活躍に繋がっています。

最後までご覧いただきありがとうございます。

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