2024年3月8日【徹子の部屋】
今日のゲストは歌手の桑江知子(わくい ともこ)さんです。
歌手生活45年を迎えた桑江知子(わくい ともこ)さん、
19歳の時に『私のハートはストップモーション』でデビュー。
日本レコード大賞の最優秀新人賞を受賞するなど、
その年の新人賞を独占で受賞しました。
桑江知子さんの『私のハートはストップモーション』の曲は
化粧品のCMソングとしても有名ですね。
こんにちは!管理人のうさぎです!
桑江知子さんは今回「徹子の部屋」へ初登場します!
そこで、
桑江知子さんの生い立ち、経歴、若い頃と今現在の画像や曲を通して、
45年間の歌手人生の歴史を見ていきましょう。
【徹子の部屋】桑江知子の生い立ちや経歴
桑江知子(わくい ともこ)さんは1960年1月18日生まれ、現在64歳。
桑江知子さんの両親は桑江知子さんが生まれた当時は
祖母のいる沖縄県沖縄市泡瀬(おきなわし あわせ)で暮らしていました。
祖母は一人息子(桑江知子さんの父親)や
孫の桑江知子さんの将来のことを考えて
沖縄市泡瀬を出るように、すすめた。
父親は祖母のすすめどおりに沖縄市泡瀬を出て、
博多へ移住を決めて商売を始めました。
桑江知子さんが5歳の時に福岡県福岡市博多へ両親と共に移住する。
桑江知子さんは5歳~18歳まで福岡県福岡市博多で育ちます。
桑江知子さんは子供の頃から歌を謡うことが好きでよく歌っていました。
福岡県立西福岡高等学校(現在は福岡県立福岡講倫館高等学校)を卒業し
3日後に歌手を目指して上京しました。
歌声は周りからも一目置かれるほど、
だったんですね。
歌手デビュー時に所属していた渡辺プロダクションが、
若者のニューミュージック指向を高めようと立ち上げた
「NON STOPプロジェクト」の一員になりました。
当時の他のメンバーは、
大塚博堂、太田裕美、山下久美子、アン・ルイス、ララ。
当時、ニューミュージック全盛期の時代でした。
桑江知子さんが19歳の時、
懐かしい‼
1979年に発売したデビュー曲「私のハートはストップモーション」が
化粧品のCMソングに採用されてブレーク。
同年のレコード大賞最優秀新人賞など数々の賞を受賞しました。
この時代はフォーク・ニューミュージック、歌謡曲など全盛期でしたね。
その後「二つの愛」「黄昏をワインに染めて」を
発表しましたが、デビュー曲ほどヒットすることはなく
ロス・インディオスなどとのコラボレーションも行うが低迷。
その間、地方FMなどでのDJが好評だったため、
歌手としての活動よりそちらの方が本業になりました。
40歳から三線を習い、
近年では生まれ故郷である沖縄の民謡に取り組み
「琉球民謡コンクール」では新人賞、優秀賞も獲得。
現在は三線と沖縄民謡をベースにしたオリジナル曲を
メインにアルバム制作や、ギターと歌や、
ピアノと歌とのデュオユニットを組み
アコースティックなサウンドによるライヴを各地で展開しています。
また、2005年には母校である高校の校名変更の際に、
新しく生まれ変わった福岡県立福岡講倫館高校の
校歌の作詞・作曲を依頼され、現在も歌い続けられています。
■1979年 受賞/受賞曲 : 「私のハートはストップモーション」
「第21回 日本レコード大賞 最優秀新人賞」
「第12回 全日本有線放送大賞 新人賞」
「第12回 日本有線大賞 新人賞」
「第6回 FNS歌謡祭グランプリ 優秀新人賞」
「第12回 新宿音楽祭 金賞」
■2001年 琉球民謡コンクールにて新人賞
■2005年 琉球民謡コンクールにて優秀賞
【徹子の部屋】桑江知子の若い頃の画像と曲
1979年に発売したデビュー曲
「私のハートはストップモーション」大ヒット!
この当時は、フォークやニューミュージック全盛期です。
さだまさし、松山千春、イルカ、ふきのとう、八神順子、財津和夫、
オフコース、アリス、海援隊、サーカス…。
他にも沢山のシンガーソングライターや歌手の皆さんがいましたね。
1979年「ブルーブルーアイランド」がヒット!
桑江知子さんは
2枚目の「ブルーブルーアイランド」もヒットに!
19歳とは思えないほど大人っぽい!
1979年「クリスタルハネムーン」続いてヒット!
「クリスタル・ハネムーン」の曲は明るく軽快なリズムで
桑江知子さんの歌唱力が光りましたよね~(⋈◍>◡<◍)
1979年に発売したデビュー曲
「私のハートはストップモーション」が
レコード大賞最優秀新人賞など数々の賞を受賞しました。
桑江知子さんの若い頃は、
ニューミュージック全盛期のこともありましたが、
新曲を出せば、次々とヒットが出るような感じでしたね。
桑江知子さん自身が、歌うことが好きだったことと、
歌唱力が一般の人よりも優れているんでしょうね。
1990年2月21日「黄昏をワインに染めて」
テレビ朝日深夜番組
『トゥナイト』のエンディングテーマになりました。
桑江知子さん、髪を長くされていた時もあるんですね。
お綺麗ですね。
この当時の時代がそうだったんでしょう。
桑江知子さんの曲はニューミュージック中心に歌っているようですね。
【徹子の部屋】桑江知子の今現在の画像と曲
2023年9月6日新曲「ふるさとはあなた」リリース。
作詞を桑江知子さん自身がされています。
2024年が45周年ということで昨年、新曲を出しました。
笑顔が素敵ですね。
沖縄生まれの母と祖母から「沖縄のいい歌あるのにちっとも歌わないね」と言われ、
40代から三線を習い始めました。
今日の「徹子の部屋」では
祖母が買ってくれた思い出の三線で『安里屋(あさとや)ユンタ』を披露。
黒柳徹子さんも“沖縄版カスタネット”の三板(サンバ)演奏に挑戦です!
この三板(サンバ)を響かせ踊ると、一目置かれるそうですよ。
徹子さん、頑張って!!
片手でも音が鳴らせるため、祝いの場などで大勢が参加し、
両手を障子の開け閉めをするように動かす。
「オパチパチパチ」と響かせながら踊ると、沖縄県民からも一目置かれるほど盛り上がる。
現在、桑江知子さんは三線(さんしん)と沖縄民謡を
ベースにしたオリジナル曲をメインにアルバム制作や、
ギターと歌や、ピアノと歌とのデュオユニットを組み
アコースティックなサウンドによるライヴを各地で展開しています。
桑江知子さんはニューミュージックのイメージが強く残っていたので、
あまりピンときませんでしたが、ポップスからラテン、ジャズまで幅広く歌いこなす上に
三線(さんしん)と沖縄民謡まで奏でて歌えるなんて素晴らしいですね。
ところ、三線(さんしん)って、三味線との違いを調べました。
三線は1万円~10万円が初心者向けや初心者向けだそうです。
棹の部分が高級黒木+著名製作者になれば、100万円もするそうです。
桑江知子さんの三線は祖母からの贈り物だそうですが、
思い出のいっぱい詰まった桑江知子さんの三線は
きっと素敵な音色がするでしょう。
「徹子の部屋」の放送が、とても楽しみです。
今現在の桑江知子さんはポップスからラテン、ジャズまで幅広く歌いこなし、
さらに故郷・沖縄の民謡を取り入れた楽曲も発表。
2001年には琉球民謡コンクールの新人賞、
2005年には同じコンクールの優秀賞を受賞するなど活躍、
毎年、「琉球フェステバル」にも参加されています。
また、ラジオパーソナリティなど活躍の場を広げ、来年にはデビュー45周年を迎えられます。
【徹子の部屋】桑江知子の若い頃と今現在の画像と曲のまとめ
桑江知子さんは1960年1月18日生まれ、現在64歳。
出生地は沖縄県沖縄市泡瀬(おきなわし あわせ)
桑江知子さんが5歳の時に祖母のすすめで
福岡市博多へ移住。
福岡県立福岡講倫館高等学校を卒業、
3日後に歌手を目指して上京。
桑江知子さんが19歳でデビュー
「私のハートはストップモーション」が
化粧品のCMソングに採用されてブレーク。
日本レコード大賞の最優秀新人賞を受賞。
その年の新人賞を独占で受賞。
1980年、時代はニューミュージック全盛期
桑江知子さんはニューミュージックの曲を中心に歌手活動していた。
今現在、桑江知子さんはポップスからラテン、ジャズまで幅広く歌いこなし、
さらに故郷・沖縄の民謡を取り入れた楽曲も発表。
今年、歌手人生45周年のを迎え益々、活動が広がっています。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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